ここではないどこかに憧れる気持ち。誰にでもきっと思い当たるんじゃないか。そこに行けば、違う自分になれる。素敵な毎日が待っている。女性にとって、パリがそんな錯覚を起こさせてくれる街であり続けているのはなぜだろう。山内マリコの短編集『パリ行ったことないの』は、パリに憧れる10人の女性たちの物語だ。

 

あゆこは、ずっとパリに憧れてきたのに、パリどころか一度も海外旅行をしたことがなかった。言い訳はいつも決まっている。「行ってみたいとは思っているけど行けないの、猫いるし」。大学院まで出たけれど、思うような職にも就けないまま、気がつけば35歳。夜な夜なガイドブックをめくるうち、パリは彼女にとって現実とは異なる架空の夢の街のようになっていた。夢の中では何度もセレクトショップのコレットを訪れているし、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店の常連客のひとりだ。そして、ある出来事によって、彼女は本当にパリに行くための一歩を踏み出すのだけれど、変わりたいけど変われない自分、いつもいつも決まった言い訳をし続けてきた自分に決別するためのパリこそが最後の砦であり、起爆剤になっている。

 

10代から70代まで幅広い年代の女性が登場する。彼女たちの人生をプロファイリングするようなディテールのきめ細やかさは、この作家の小説を読む時の醍醐味のひとつだろう。デザイナーのたえこは50歳。若い頃、バブルを謳歌したバリキャリ世代だ。美人で仕事もできる彼女は、30代の頃からエステにヨガ、アロマにタイ古式マッサージとセルフコントロールにもぬかりはなかった。不倫を清算するのに10年もかかったのは計算外だったけれど、もともと結婚願望もないし子供も苦手だから、まずまず自由を謳歌して生きてきたはずなのに、自分ではそう思っていても、周りからどう見られているかはわからないと思う。身なりにも言葉遣いにも仕草にも気を配っている自分のような女でさえ、この国では「オバサン」として邪険に扱われることから逃れられないから。たえこが「あーパリに行きたいな」と思うのはそんなやるせない気持ちになった時だ。若い頃に行ったパリで、彼女はお金だけ持って土足で人の国を踏みにじっていくクレイジーな買い物客として徹底的に軽んじられた。パリでは若い女であることにたえこが思うほどの価値がないのである。パリのマダムが持っているあの威厳こそ、今のたえこが心から欲しいと願うものなのだ。

とにかく一日中絵ばかり描いているまいにとって女子校の美術部は唯一無二の楽園だ。彼女の幸福のはかなさを、周りにいる大人の女たちは知っている。髪はぼさぼさで身なりなんてどうでもいい。人目も気にせず、好きなことに熱中していられる楽園なんて、卒業したら、もうどこにもないかもしれないから。

 

10人の女性たちが「ここではないどこか」を夢見てしまうのは、社会や家庭が押し付けてくる物差しは窮屈で、自分には合わないと薄々気づいているせいだ。女が人生でつまずいて、不本意な自分にくすぶっている時「遅すぎることはない」とパリは言う。「どんなささいなことでもいいから、今からでもやりたかったことをやりたいようにやってみたらいい」と。最後の一編はそんな彼女たちのその後が描かれる。パリに行ったからってすべてが解決するわけじゃないことぐらいわかっている。それでもその街の名前を口にする時、心にさっと風が吹くのは、ここで終わりじゃない、まだ変われる自分がいるんだと何かが背中を押すせいだと思う。

『パリ行ったことないの』

山内マリコ著 CCCメディアハウス刊 ¥1,760

文:瀧晴己