〈素敵なパリジェンヌ〉に憧れる日本人を、どこか斜に構えて見ていたと著者はいう。フランスに永住している叔父がいて、その妻はフランス人で、いとこがパリに住んでいるのに、彼らはあくまで「夏休みになると押しかけてくる親戚」に過ぎなかった。十代の頃はイギリスのロックを聴き、アメリカのドラマを録画して見まくって、フランス映画は大の苦手。せっかく親戚がいるのにもったいない気もするけれど、長い間、近すぎて遠い国だったフランスに目覚めたのは、叔母のロズリーヌが焼くパンがきっかけだった。
中島たい子さんの『パリのキッチンで四角いバゲットを焼きながら』は、気取らない等身大のフランスが見えてくるエッセイ。なんといっても、肩の力が抜けたロズリーヌ叔母さんがとても魅力的だ。
彼女の焼く「ブルターニュのパン」は、レンガのような四角いかたちをしていて、トーストするとバリッとした食感になり、独特の風味がしっかりと香る。パリにはいくらでも美味しいパンが売っているのに、ちっとも負けていないその味にすっかり魅せられた著者は、つくりかたを教わろうと、パリ郊外ベルサイユ近くに暮らす叔父夫婦の家を訪ねる。子どもの頃に遊びに来て以来、久しぶりの訪問だった。ロズリーヌにとってパンを焼くことは特別なことではなく、日常の仕事のひとつ。40代になり、この先の人生が重く不安に思えてきた著者にとって「毎日美味しいパンを焼くことができる」というのは、幸福に生きていくためのサバイバル術に思えたのだ。
レシピは、びっくりするくらいシンプルだった。「この粉が、美味しいです」と教わると、なるほど粉に秘密があるのか、オーガニックで国産のこの特別な粉じゃなければダメなのかと身構えるが、いや、学ぶべき本質はそこじゃないと思い直す。わざわざこの粉を取り寄せたところで、続けていけないだろう。無理をしないで、続けていけること。これが大事。頭でっかちなこだわりとは無縁の彼女が、本当に大切にしていることは何なのか。
旅に出て、凝った料理ならほかにも食べたはずなのに、ただ焼いただけ、ただゆでただけみたいな、やけにシンプルな料理に感動したことがある人なら、著者が抱く「なのに、どうしてこんなに美味しいんだろう」「どうして素敵なんだろう」という疑問に、いちいちうなづいてしまうはず。ロズリーヌ叔母さんのやりかたは、いつだってとてもシンプルで、何がどう違うのか、うっかりすると見逃してしまいそうだ。著者の脳裏に、子どもの頃、バゲットに切り込みを入れると、板チョコを挟んで「パン・オ・ショコラです」と差し出してくれた思い出がよみがえってくる。日本で同じことをやったところで、あの美味しさは再現できなかった。パンだけじゃない。ガラスの瓶につめたマロンのアイスクリーム。タマネギと長ネギをよく炒めてつくるキッシュ。ラム肉を使ったクスクス。美味しそうなものが次から次に出てくるこのエッセイ、嬉しいことに巻末にレシピもついている。
「フランス人は10着しか服を持ってないって、本当?」とあまりにも直球な質問をして、いとこのソフィーが笑い飛ばす場面があるけれど〈オシャレ〉で〈素敵〉より、著者を惹きつけたのは、彼らが幸せそうに生きているから。「日々の生活で、どのようなときに、幸せを感じますか?」ロズリーヌの答えは、ぜひこの本で確かめてみてほしい。

文:瀧 晴巳