蚤の市を散策すると、アンティークのポストカードが売られていることがある。古い消印、走り書きされた文字に、どこの誰とも知れない人の消息に想いを馳せたくなるのは、私だけではないだろう。『その姿の消し方』は、そんなかすかな偶然を手掛かりに、好奇心の赴くままどこまでも手繰り寄せていったら、どうなるのか。半世紀の時を隔てた、ミステリアスな探索の物語だ。

フランス留学時代、古物市で手に入れた1枚の古い絵葉書には、謎めいた十行の詩が記されていた。消印は1938年6月15日。差出人のアンドレ・Ⅼとは何者か。写真に写っている廃屋のような建物はどこにあるのか。宛名の女性は誰なのか。想像をかきたてられた「私」は探索を開始する。

しかし、その足取りは決して急いではいない。フランスを訪ねるたび、彼の記した絵葉書が一通、また一通と「私」のもとに集まってくる。四枚の葉書と四つの詩。彼はアンドレ・ルーシェという詩人で、フランス南西部のある村で会計監査員をしていたこと。第一次大戦では足を負傷し、第二次大戦の時には、レジスタンス運動に関わっていたらしいこと。ついに入手したポートレート写真に写っていたのは「頬のややこけた、水分の足りない瓜のような男の顔」だった。やがて「私」は、彼の孫娘や息子の友人夫妻とも知り合いになる。とはいえ、アンドレ・ルーシェは、文学史に名を遺すような詩人ではない。彼がなぜ詩を書いたのか。宛名の女性は恋人なのか、あるいはレジスタンスを共に戦った仲間の暗号なのか、謎は依然として謎のままだ。

「謎は確かに多い。『奇妙な戦争』の時期、ほんとうに彼は一市民として静かな生活をまっとうしていたのか。十行の詩を見るかぎり心の内側に一定以上の風が吹いていたのは明白だが、風が異物を拭き流した後の空をどう眺めていたかは想像するしかない」

言葉にもならない言葉を抱えながら生きて、いずれ姿を消していく。正体は不明のまま。それは、たぶん、私であり、あなたでもある。

しかし、不在とは、単なる欠落ではない。今はもういない彼のかすかな痕跡をたどることで、「私」の人生にはいくつもの出会いがもたらされる。これは、不在の中に眠っていた生きていくことの豊かさを掘り起こす物語でもあるのだろう。

「読むたびにルーシェの言葉が私のなかに見出すのは、最終的には片恋に似た場所だった。片恋とは対象を特定しない心の吐き出しである。脳裏に浮かんだ想いを、彼はただは吐き出していただけなのかもしれない。吐き出したいだけなら、日記や手記に綴って渠底に収めておけばいいのだが、彼はそれを選ばなかった。読み手を、受け取り手を願った。読んでくれる相手があったからこそ絵はがきに言葉を綴り、名宛人の住所氏名を記し、切手を貼って投函したのだ」

堀江敏幸の小説は、路地から路地へ知らない街をそぞろ歩くみたいに、人生の余白のような場所から、豊かなの時を掘り起こしてくれる。端正な文章に身をゆだねるように、大切に読みたくなる1冊だ。

『その姿の消し方』

堀江敏幸著 新潮社刊 ¥1,650

文:瀧晴己