パリの伝統文化が生んだクラフトマンシップの美学、“サヴォアフェール”。フランスのクチュールメゾンを支えるオートクチュール刺繍の世界にも、その精神は息づいている。シャネルをはじめ名だたるメゾンのコレクションを手がけるアトリエ、ルサージュがパリで主宰する学校「エコール・ルサージュ」でオートクチュール刺繍を学んだ刺繍作家・小林モー子さんに、オートクチュール刺繍との出会いや実際に現地で体感したサヴォアフェールについて、小林さんのアトリエ「メゾン・デ・ペルル(maison des perles)」で話を聞いた。

 

子どもの頃からものづくりが好きだったという小林モー子さん。小学1年生の時点でミシンを自在に操り、編み物の図柄も自分で考えてつくる手芸女子だった。

 

どうやってつくられたのかわからない、繊細な刺繍作品に魅せられて。

小林さんとフランスのオートクチュール刺繍との出合いは、1999年にBunkamuraザ・ミュージアムで開催された『パリ・モードの舞台裏』という展覧会だった。当時、服飾の学校で洋服づくりを学んでいた小林さんは、数多くのクチュールメゾンの刺繍を手がけるアトリエ、ルサージュの刺繍作品に感銘を受けたという。

「それまでにも刺繍の経験はあって、学校でもひと通り学んでいたので、刺繍についてある程度の知識はあったのですが、ルサージュの刺繍作品はどうやって作られたのかがまったくわからなかったんです。人の手でつくられているのが信じられないくらい細かく、圧倒的な密度で。特に記憶に残っているのは、ブドウをモチーフにした作品でした。ブドウの粒の球体がスパンコールで表現されていたのですが、その立体感をどうやってつくるのかを解明したくなったんです。制作費や時間がどれくらいかかるのかも気になりました」

その後渡仏して、ルサージュの技術を学ぶことができる「エコール・ルサージュ」で、オートクチュール刺繍を本格的に学んだ小林さん。現地ではどのようなことを学んだのか。

「私が在籍していた頃は、ルサージュの職人が講師として指導してくれて、いま考えてもよく練られたカリキュラムでした。クロッシェ・ド・リュネビルと呼ばれるかぎ針を使った刺繍の技術を学ぶのですが、さまざまなテクニックを習得するために、基本的なものから難しいものまで、次々と新しい課題が与えられるんです。当時は1日4時間の授業を週に5日受講していて、徹夜で宿題に追われる毎日。とにかくスピードを求められました。授業で(『パリ・モードの舞台裏』展で出合った)立体的に刺す技術を学んだ時は、とても感慨深いものがありました」

 

緻密にヴィンテージビーズで埋め尽くした、ブローチやピンバッジといったアクセサリーのモチーフは現在800種ほど。小林さんのアトリエにはそのアーカイブが勢揃いする。

 

アクセサリーに使用するヴィンテージビーズは、ニュアンスのある色味と輝きを帯びたガラスの質感が魅力。フランスの蚤の市などで買い付けている。なかには1930年頃の貴重な極小ビーズも。

オートクチュール刺繍には、進化する楽しさがある。

ディプロムを取得した後もそのままパリに残り、ウェディングのアトリエで刺繍を担当するなど、プロの職人としてオートクチュール刺繍に携わった小林さん。現場で働くことで、あらためてオートクチュール刺繍の面白さに魅了されたという。

「一般的な手芸には“しばり”が多いのですが、オートクチュール刺繍には決まりごとがなくて自由。刺すことができれば材料は何を使ってもよく、木に穴を空けたものやビニール袋に刺繍するのでもいい(笑)。デザイナーがその年の流行りの生地にこんなパーツを縫い付けたいとか、奇抜なことをリクエストしてくるのですが、どんなことでも柔軟に受け入れます。基礎さえあれば何にでも対応でき、そこから新しい技術が生まれるといった、進化する楽しさがあるのがオートクチュール刺繍の魅力だと思います」

 

動物のモチーフを多く手掛けるが、なかにはことわざシリーズ「猿も木から落ちる」など、思わず笑みがこぼれてしまうものも。購入はホームページで予約販売するほか、横須賀美術館で現在開催中の『糸で描く物語  刺繍と、絵と、ファッションと。』展のショップでも一部を取り扱う。

 

帰国後は、自身のアトリエ「メゾン・デ・ペルル」を開設。制作活動のかたわら、オートクチュール刺繍教室も定期的に開催し、サヴォアフェールの精神を後進に伝えている。

「“サヴォアフェール”は直訳すると、“つくることを知っている”という意味ですが、私は“技術”のことだと捉えています。とはいっても、練習や訓練によって得られる技術だけではなく、サヴォアフェールにはさらに、ものごとを解決する手段、アイデアや自由な発想で臨機応変に対応する力といったことも含まれるように感じます。そうしたことは、学校でも職場でも常に求められていました。デザイナーの期待にも、サヴォアフェールがあってこそ応じられると思っています。

ものづくりすべてにおいて言えるのですが、何か事件が起きた時に、視点を変えることでよりよいものが生まれたりするんですよね。何人かの知識を持ち寄ると、さらによくなる。そんな経験は、現在の作品づくりにも生きていると実感しています」

 

かぎ針を使って、まるでミシンのように垂直にひと針ずつ刺していく様子を、小林さんは“手ミシン”と表現する。「“手ミシン”だと、細かいビーズを真っ直ぐに、スピーディーに刺していくことができます。自由で繊細な表現ができるのがかぎ針のいいところ」

 

白が基調の、木の温もりが心地よいアトリエ。刺繍クラスもここで開催される。

 

刺繍作家としてのターニングポイントとなったのは、パリ在住の画家・大月雄二郎氏とのコラボレーション作品の制作。大月氏の絵に、小林さんがヴィンテージビーズの刺繍で色を埋め込んでいった。これが後の作品づくりのインスピレーション源に。
小林モー子 Môko Kobayashi
刺繍作家
小林モー子 Môko Kobayashi

アパレルメーカーにてパタンナーとして勤務後、2004年に渡仏。「エコール・ルサージュ(Ecole Lesage broderie d'Art)」にてオートクチュール刺繍の技術を学び、ディプロムを取得。ウェディングドレスのアトリエで刺繍を担当するなどして7年間をパリで過ごす。10年に帰国し、メゾン・デ・ペルルを立ち上げる。アクセサリーブランドMôko Kobayashiをはじめ、オートクチュール刺繍教室の開校、企業広告や雑誌への作品提供など多岐にわたる刺繍活動を行う。現在、横須賀美術館で6/27まで開催中の『糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。』展に出品中。

写真:黒坂明美(STUH) インタビュー・文:有元えり